「色付きの夢」

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中野サンプラザ大ホール客席

昭和40年に、日本大学芸術学部演劇学科に入学した。入学の目的は、
特になく、昭和35年ごろ、民音が出来たり、民演が出来たり、
創価学会が西洋の演劇を日本に呼ぶ活動を進めていて、
なんとなく、演劇を通して社会運動をしようか見たいな気分が有って、
演劇学科の「一般理論コース」を選んだ。

舞台照明

入学して最初の頃、文楽の大家である主任教授の内海先生が「演劇概論」
という授業の中で、演劇分野の中に「舞台照明」というのが有って、
日本は遅れているという話を聞いた。

なんでも、「舞台照明」というのは、演劇の各分野の中で、
最も遅れて発達し、近年、目覚ましい発展を遂げている
というのである。

興味を持ったのは、どうも、「電気で絵を描く仕事」らしかった。

僕は、それまで学んだ学科の中で、絵画が最も好きで、
一番好きなことは、「メシのタネ」にしたくないと思っていて、
2番目に好きな電気で喰っていきたい思って、
電通大や、電波系の学校を目指していたが、
高校時代に体調を崩し進学を諦めて家業について5年も経って、
もう、忘れていた。

ところが、内海先生の話では、「電気で絵を描く仕事」が有る
というではないか!
だったら、一番好きなことと、2番目に好きなことが合体することになる。

それなら、一生飽きないでやれるのではないか?!
なんでも、長くやったら結果が出る。
実際僕は、平成31年に、文化庁長官表彰を受けた。

永年にわたり舞台照明家として

活躍し我が国の芸術文化の振興に

多大な貢献をした功績をたたえる

表彰状。

しかも、日本は遅れているという。
だったら、自分にも出番が有るかもしれない。
と思ったら止まらなくなって、

2年次に進級と同時に、舞台美術の照明コースに移籍した。
そうして、舞台照明の実習がはじまった、

1年次の専門科目を取ってなかったので、
座学を後輩の1年生と、実技を同級の2年生と一緒に、
2学年分の科目を同時に進めることになって大忙しである。

照明の実習は、日が沈んだ夕方からになる。人工的に暗くして、
電気で明るくして、色を付ける
。おまけに、担当が、
日本の舞台照明の生みの親と言われる遠山静雄先生である。
夢中になった。

日本の舞台照明の生みの親

遠山静雄先生(工学博士)

日本劇場技術協会第3代会長

それから、暫くして、思わぬ出来事が起きた。
「色付きの夢」を見たのである!

舞台最奥にホリゾント幕が有り、空バックの空間が着色される。

普段、夢に色がついているかなんて、気に留めることはない。
だから、それまで、夢が総天然色であったかどうか、記憶はない。
でも、「色がついていた!と、ハッキリ、意識した
のである。

なぜなら、色がついていないと、見た夢の意味がないからである。
何時頃まで、色付きの夢を見ていたか、記憶はない。
今頃は、特に意識することはない。
夢の専門家は、なんというだろうか?

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