日本伝統の職人技

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松の手入れ

八王子に古屋を買って暫くになる。

あと何年生きられるか分からないが、
この度、外壁を塗り替えることにした。

ついでに瓦屋根と造作の一部も手を入れることにして、
入居時の屋内リフォームで出会った
左官職の浅見さんの人柄と腕を見込んで、
全部お任せでお願いした。

浅見さんは奥多摩で代々建築関連職を営む
個人経営者のグループのリーダー格で、
この所いろんな職種の職人が入れ替わりやってくる。

最近は外壁塗装などは1週間足らずで仕上げてしまう業者もいて、
ご近所でも最近、大きな邸宅が2週間で工事が終わった。

我が家は小さいが、工事は3週間の予定である。
大手の業者のように綺麗な足場囲いもなく、
寄せ集めのような見栄えのしない現場になっている。

しかし、手抜きなしの本物の職人さんの見事な仕事を堪能している。
日本人が忘れかけているものがそこにはある。
冬の足音が聞こえる中、心が暖まる。

自宅近くに天山という料亭がある。
高台にあって眼下の八王子市街から遙か丹沢山系、富士山まで見渡せる。
その天山の一角が戦国時代の武器、
なかんずく夥しい数の火縄銃のコレクション展示になっている。

そこで、当時の鉄砲鍛冶の技術の一端が紹介されている。
日本刀作りと同じ手法で鋼(はがね)を鍛えて長い延べ板を作り、
それを鉄の心棒に巻き付けて鍛え、
その後心棒を抜き取って銃身を作ったのだそうである。

このような日本独特の技術で、
日本の種子島銃は単なる西洋からの伝来ものではなくなった。

我が国の伝統工芸は長い年月子々孫々伝えられ発展してきた。
芸能またしかりである。

我が国の舞台照明も黎明期に於いては、
また同じく徒弟制度のような環境で育ってきた。

上の例で見れば、日本独自の技能が育って良さそうだが、
現実は技術革新が何度も起こり、
それに対応できず、
世界に問えるようなものは未だ出ていない。
残念でならない。

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