開発秘話《コンピュータ幕 続編》

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「コンピュータに使われておる。コンピュータを使うようになりなさい!」
PL教団第二代教祖様のお言葉に気を取り直し、捲土重来を期して、試演会を終えると、直ちに装置を東京に輸送した。

《止まらない←→上がらない》失敗の原因は、ハッキリしていた。どうしたら良いかも当然分かっていた。作り直し。予算は使い果たしている。メーカーはどう受けるか?

もう一つ大問題が有った。装置の重量が設計値の20Kgをはるかに超えて50Kg以上になっていた。このままでは、公演現地の劇場で既設バトンに吊らしてもらえない場合が多くなる。そもそも、危険だ。「1gでも軽く!」過酷な軽量化努力が始まった。「50Kgを20Kgに」、メーカーの社長は夜も眠れないほどだったが、大阪で見た若い劇団員の献身の姿に感銘して、自分の会社を、あんなふうに改革したいと心に期するものが有った。

朝、出勤すると、自分から「おはよう!」と挨拶し、明るく振る舞うようになった。会社の雰囲気がみるみる変わっていくのを感じていた。

「幕を巻き取るドラムを軽く作る素材はないか?」といつも社長の頭から離れなかった。
そんな深夜、車で帰宅途中の呉服屋の店先に、無造作に放り出されている紙筒に目が留まった。「これだ!」

目標の20Kgには届かなかったが、25Kgを割るのは、確実だった。半分になったのだ。
作り直しで、会社としては大赤字だったが、会社が生まれ変わったと思えば、大収穫だ。
試演会から1か月。東京公演に間に合わせようと、舞台稽古の前に、渋谷の東横劇場に搬入された。この劇場は、私がカッパ座に入社する前、8年間ホームグラウンドにしていた。劇場のスタッフは、昔の仲間だ。

装置を使用状態で吊りこんだままの、徹夜の調整を黙認してくれた。
軽やかな回転音を立てて幕が1本1本上下する。もう大丈夫だ。

それから、数十年間、故障らしい故障もせず、現場で動き続けている。

東京豊島園「こども劇場」

昭和54年度作品「オズの魔法使い」でスタート。同55年の「こじき王子」で再び採用され、1980年の第3回アメリカ公演で海を渡り、その後、「アラジンと魔法にランプ」、「そんごくう」と2年間、東京豊島園「子ども劇場」に常設。この時、本当のコンピュ―タ制御に成功し、名実共に「コンピュータ幕」となった。

その後、「銀河鉄道999」、「アリババ」、「不思議の国のアリス」などで、連鎖劇のスクリーンとして、映画と演劇の仲立ちを果たした。

同時に、外部から、その多様性、汎用性に注目され、ファッションショウや新車の発表会・展示会などに、オペレーター付きで貸し出された。

また、独自性を認められ、実用新案として登録された。アメリカ、西ドイツにも特許申請をした。これらの申請手続きを通じて、実に多くのことを学んだ。

いづれ、内外の吊もの、幕構造について、専門紙誌に掲載を予定している。

日本舞台美術家ギルド「ギルド通信」2004年版

このような事柄は、すでに広く知られる技法の組み合わせから、容易に思い付くような、単なる応用ではなく、個々の演劇を練り上げていく段階で、演出上求められる効果を最大限に発揮できるよう創意工夫を凝らすことから、自然に生まれてくる「授かりもの」であり、その努力は、そこはかとない喜びとなって、報われる。

「・・・だから、神様は平等なんだ! それにしても、本当に、俺たちはいつも握手するだけだねぇ!」と、古市カオルは感に堪えないように、いつもの言葉を発した。
   (おわり)

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