ハワイのNBCセンターホールで、開演前に強烈な恐怖感を経験してから、その後、開演前のドキドキ感は、
すっかり影をひそめてしまいました。
(前編「ドキドキ感その1」はコチラ)
では、開演前に、司会のお姉さんと会場のお友達(子供)が
お芝居の中で、登場するキャラクタ―を応援するマナー、方法を練習します。
お芝居の中で、主役が危険な目に会いそうになると、「ダメ―」とか、「危ないよー」とか声を掛けます。
危機を逃れた主役が、「お友達、助けてくれて、有難う~」などと、声を掛け合います。観客が、お芝居に参加して、
場を盛り上げることを、「参客」という、演出方法です。
特にアメリカ公演では、大好評でした。
一通りの練習が終わると、盛り上がった会場を鎮めるために、
司会者は、会場に向けて、
「では、お友達~、一度お口を閉じて、静かにしてみましょう!
(人差し指を口に当てて)シーッ」(間をおいて)
]
「あれ、あれぇ~、未だ、お口を開いているお友達がいるなぁ~、もう一度、やってみよう~、シーッ」と、
会場の雰囲気を見ながら、客電(客席の電灯)が落ちて、
客席が暗くなるまで、繰り返します。
ある時、いつまでやっても、客電が落ちないので、
不審に思った舞台監督が、照明室に、駆け込んでみると、
なんと、僕が、スヤスヤと、眠っているのを見てびっくり
しました。
(照明オペレーターが寝ていては、客電が落ちる訳が有りません、)
1ベルが鳴って、ドキドキと、緊張感が高まる時期に、
それを超越して、平安の境地に入ってしまっていたのでした。
「このドキドキ感が無くなったら、芝居を止めよう」と思ったのは正解だったのです。
そんなことが、何回か、有ったので、芝居こそ辞めなかったが、
僕は、本当に、照明オペレーターを引退しました。
舞台照明プランナーも、後輩に譲って、
今度は、舞台美術家に転向しました。
舞台美術家というのは、演劇の舞台装置を設計するデザイナーで、舞台に飾る、台や、幕や、書き割りを、デザインして、舞台を立体的空間に仕上げる役割です。
これまでも。演劇の企画の段階から、参画して、舞台の基本設計などは担当していたので、舞台美術家への転向は、スムーズに移行できました。
それで、実際に経験してみると、
舞台照明の魅力は舞台美術の何倍もあることに気が付きました。
演劇の制作の流れで行くと、先ず、台本が出来て、
台本で、足りないところは、演出で、
演出で描き切れない部分は、役者の魅力で、
それで足りないところは、衣裳や舞台装置で、
そして、舞台音響で、最後は、舞台照明で何とかしよう、
ということになります。
台本の読み合わせから、役者のミザンセーヌ(舞台上の動き)
を決めるために、舞台美術は早い段階から演出に参加します。
従って、習慣的に、ポスター上で、
舞台美術家の名前は舞台照明家よりも上位に表示されます。
舞台照明は、立ち稽古に参加しますが、実際の照明プランが、
人目に触れるのは、舞台稽古(衣裳、舞台装置、音響、照明を入れて、本番通りにする稽古)からです。
舞台照明は、演劇に、時間、季節、情感などを付与します。
そして、役者の動きに合わせて、修正されていきます。
従って、照明スタッフは、舞台稽古で、初めて演劇を、
一緒に作り上げていく実感を共有します。
それに対して、舞台美術は、舞台稽古前の立ち稽古の段階から、
制作されて、実際のミザンセーヌに合わせて、調整され、
舞台稽古の段階で、追加されることは、ほとんど無く、
(実際には不可能ですし)
変更があるとすれば、カットされることくらいです。
舞台照明の経験者からすると、
舞台稽古における、舞台美術家の責任の重さは、軽く、
ずーと、気楽です。
ということは、舞台稽古での、ドキドキ感は、
舞台照明家の方がずーと、高いということです。
その分、仕上がりに対する高揚感が高いということになります。
これは、僕だけの感じ方で、専業の舞台美術家には、
また別の感じ方があるかもしれませんが、
その後も、舞台照明から完全撤退が出来なくて、
折に触れ、関わることになりました。
そして、2019年3月、「永年、舞台照明家として活躍し、我が国の芸術、文化の振興に多大な貢献をした」と、文化庁長官から表彰されました。